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我、弁明しすぎか? [本]

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もうずいぶんと前になりましたが、まだシンガポールに来て働き始めた頃、ローカル社員達が
連発する「Because...」によく苛立った事を思い出します。

明らかに結果として今、良くない事態が起こってしまっているような状況下で、日本人はどち
らかと言えばすぐにそれを認めて、謝罪するなり、対策に動く事が美徳とされますが、こちら
ではなかなか自らの非を認めず、なぜ自分がそうしたか(だから悪くないのだ)という経緯の
説明が延々と繰り返されます。
日本人からすると、「だって・・・XXXXX」からまず入る弁明になかなか馴染めないのは当然
でしょうね。

赴任前研修で繰り返し聞かされた「謝らない外国人」を身をもって何度も味わった訳ですが、
今にして思えば、自分のした事に対する申し開きをせず、簡単に非を認めてしまう国民性は、
世界の中で日本人の方が特殊と言えるかも知れません。
ハイコンテクスト、ローコンテクストの差はあっても、やはり海外から見る日本人はハイコン
テクスト文化に頼り過ぎで、何に対しても単純に「説明不足」の感が拭えません。
日本人以外の国民から見れば、「なんでもっと説明しないんだ?」と逆に不可解に思われ
がちです。

しかし、ここで

外国人=まず弁明する、謝らない
日本人=まず謝る、弁明しない

としてしまうのはあまりにステレオタイプに過ぎるというもので、もちろん多くを語らない
外国人もいれば、言い訳がましい日本人もおられます。

大事なのは、申し開きのスタイルの問題ではなく、いかにその人が事を起こすにあたって
しっかり物事を考え、道筋や信念にもとづいて決断を行ったか、という事でしょうね。
それさえしっかりしていれば、どちらのスタイルでも最終の結果はそんなに違ってこない
のではないかと思われます。

さて、どちらの文化がどうという話は別にしても、この本は、「弁明せず」信念を貫く事を
選択した、日本人の物語。
明治初期から終戦後の日本で三井財閥を率い、日銀総裁、大蔵兼商工大臣まで勤めた
池田成彬という人の一生が描かれています。

小説の最後には、凄まじい決断を迫られるシーンが出てきます。
事実だったのか疑ってしまうほどの内容ですが、はっきりしているのは、自分には恐らく
同じ決断は下せ(さ)なかったであろうという事。
一読の価値あり、です。

ところで、シンガポール人の「Because...」に苛立っていた私も、最近日本から赴任した
上司からは、
「おまえ、、、今ここでそれを言い訳してどうなるっちゅうねん!」
と窘められるまでに見事な国際化に成功しました。

どうも信念が足りず、弁明のスタイルだけが国際化したことが問題なようで、、、



「我、弁明せず」
江上 剛 著
ISBN978-4-569-67551-0
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