SSブログ
前の10件 | -

ついに・・・ [その他]

決まってしまいました。
本帰国。

8月末頃、シンガポールを離れる事になりそうです。
実家の事情もあって希望は出していたものの、いざとなると複雑な心境。
5年半も生活した場所ですからね。

あと2ヶ月。思う存分シンガポールライフを満喫せねば。
と・・・思いきや、今週末はクアラルンプール、その次はバンコク、そして
イスタンブール。さらにはデリー出張が確定してしまいました。

う~ん。ほとんどいないぞこりゃ。
本当に思い残す事なく、シンガポールをエンジョイできるのか?
というより、帰国までに一体あと何回このブログを更新できるのか?

乞うご期待。

さよならライブ [オンガク]

M_band1.JPG

Mバンドの2代目ドラマー・Mさんの本帰国が決まり、先週チャイナタウンのライブハウス
「Hood Bar & Cafe」でさよならライブを行いました。

Mさんの帰国までに何とか思い出に残るライブを、とメンバーの日程調整を重ねましたが
なかなか日程が合わず、一時はダメかと思いましたが、何とか本番まで漕ぎ着けました。

とは言え、Mさんが加わってステージを行ったのは昨年のGFAのX'masパーティのみ。
てことは、、、クリスマスソングしかやった事ないぞ。
ローカルライブハウスなので英語のナンバーがベターですが、今から新曲を仕込む時間
はとても無い。よっしゃそれなら、と大胆にも全て日本語ナンバーで通しましたよ。
ローカルのオーディエンスにも楽しんでもらえたでしょうか?
ともかくMさんと貴重な時間を音楽で共有できて良かった。

また今回はお店スタッフ関係者の発案もあり、Mバンドのステージは東日本大震災への
チャリティライブとすることに。ピアニスト・Y子さんとその上川隆也似のダンナさんが急遽
見事なPOPや募金箱を用意してくれ、お陰様で沢山の義援金が集まりました。
みなさん、ありがとうございました!!
(集まったお金は、日本人会主催の基金へ寄付させていただきました。)

特に今回は、被災した方々への応援メッセージとして、「島唄」を心を込めて演奏させて
頂きました。

島(新加波)から島(日本)へ。唄よ風に乗って私の思いを届けておくれ。

この唄の歌詞が語りかけるように、想いを届けるべく精一杯歌いましたよ。

そして、、平日夜遅い時間帯にも関わらず駆けつけてくださったGFAの仲間のみなさん、
今回はある意味「アウェー戦」でしたので、特にみなさんの応援が身に染みました。
いつもいつも、本当にありがとうございます。

Mさん、日本でも元気で!
いつかまたこのメンバーでライブやりましょうね!
M_band2.JPG

サッカーにできること [サッカー]

Charity1.JPG

去る4/2土曜日、中田英寿氏率いる「Take Action」、アルビレックス新潟シンガポール、
そしてSリーグ主催による震災チャリティマッチが開催されました。
震災後、シンガポール側からの要請に中田氏が即応、プレスリリースから僅か1週間
程で実現した試合。我が家も少しでも貢献すべく(!)、一家揃って観戦してきました。
(Tさんファミリー、お世話になりました)

試合はTake Action&アルビ新潟S+シンガポールで活躍する日本人選手で構成
された混合チームとSリーグ選抜チームの対戦。
Take Actionには中田氏を始め、前園真聖氏、北澤豪氏、沢登正朗氏の元日本代表
選手、そして何と言っても我らがGFAのコーチ陣、中村彰宏選手、金古聖司選手、
新井健二選手、川辺隆弥選手、秋吉泰佑選手が揃って参加とあって大いに盛上がり
ましたね。

Nakata3.JPG
中田氏は「今でも現役で十分いけるんじゃないの?」という風格溢れるプレー。

Nakata1.JPG
見事なボールコントロールから、豪快に1ゴール!

Nakata2.JPG
中田氏と握手する中村選手。そして金古選手。貴重なショットです。
GFAコーチ陣は皆良いプレーをしてました。

「Take Action」の名の通り、サッカーを通じて出来る行動をすぐに起こしている所は
さすが。中田氏が試合後のインタビューでも語ってましたが、彼らの呼びかけに賛同し、
あれだけの人々が会場に足を運ぶという「行動を起こした」事が重要なんだ、と。
会場に来た人達同士が日本への想いを共有しましたし、そこからまた何か出来る事
が生まれるかも知れませんね。
あの場の大きなうねりの中で、こうして人を繋げるサッカーの力を改めて感じました。


キング・カズ [その他]

東北関東大震災で被災された方々には、心よりお見舞いを申し上げます。
この2週間、海外でも次々と報道される強烈な映像にただただ言葉もなく、
一日も早い復興を祈るばかりでおりました。

海外で自分に出来る事は義援金の募金活動くらいなのですが、今たくさん
の同胞の方々が苦しんでいる中、通常通りの生活ができる事への感謝を
噛み締めつつ、だからこそ自分の仕事をしっかりとやっていく事が大切
なのだと思っております。

そんな中、日本で行われた日本代表vsJリーグ選抜のチャリティマッチ。
この人が、また勇気と感動を与えてくれました。

kazu.jpg

後半36分、キング・カズのゴール
YouTubeでしか見れませんでしたが、それでも熱いものが込み上げてきました。
被災地の方々にどれだけ映像が届いたのかは分かりませんが、この人の
歴史を知る我々世代の人々には、強烈なメッセージとなったのではないでしょうか。
常に全力で、苦難を乗り越え、そして笑顔で前向きに進み続けてきたみんなの
ヒーローが見せてくれた、あの場面でのスーパーゴール。
そして、カズ・ダンス。

これは、俺達もがんばらなきゃ。
出来る事を今やらなくては。


本当に、被災地に平穏な日々が一日も早く戻るよう、心に祈りながら
これからも頑張ります。

東急カップ ~ ポジション考 [サッカー]

2011tokyu2.JPG

昨日、毎年恒例の東急カップが開催されました。
ひびすけもU12-Bで頑張ったようですが、残念ながら予選敗退となりました。
例によって父は応援してやれませんでしたが、これからの練習でまた頑張るしかないね。

今年のGFA U-8は、

Aチーム: 優勝
Bチーム: 予選敗退
Cチーム: 予選敗退

私は予選途中までBチームを担当、その後金古コーチ(タンピネスFC)のAFC遠征に伴って
Aチームを引き継ぎました。

まず優勝したAチームのみんな、本当におめでとう!
今大会から8人制が導入されてよりスペースが生まれる中、金古コーチが敷かれた1-4-2の
システムがピタリとはまり、サイド攻撃でチャンスを量産しました。
予選4試合と決勝2試合を通じて計36得点かつ無失点での優勝は、恐らく私が記憶する限り
過去最高の戦績とちゃうかな?決勝T、特に準決勝では疲れからか前半やや苦戦したため、
相手との相性や選手の状態に合わせて、その時点でのベストと思われるポジション編成に
変更しながら戦いました。
決勝では自陣でボールを奪ってから4本連続でパスを繋いで得点するなど、一つ二つ上の
年代のようなプレーも飛び出してましたね。全てのポジションの子達が、それぞれに見事に
役割を果たしてくれたと思います。Congrats!

Bチームについて、今回は元々Bを最後まで担当する予定だったので私なりに相当気合を
入れて臨みました。今大会が最後になる子も3人いたし、できれば予選最終戦まで一緒に
戦いたかったですね。
それにしても、相手チームのAクラスと当たる厳しい状況の中、選手達は本当によく頑張り
ました。特にGFA S'pore戦では相手のファウルに負けず、素晴らしいプレーを見せてくれ
ました。得点シーンの時は嬉しかったですねえ。
初戦と3戦目の不運な失点がなく、かつチャンスにもう少し決めれていれば、予選突破する
可能性は十分にあったでしょう。でもこれがサッカーでありスポーツ。「もしも」はない。
負けて悔し泣きしている子もいました。その真剣さいつまでも忘れないで欲しいし、それが
彼らのこれからに必ず活きてくる事を信じています。
2年生はU-10で、1年生は来年チームを引っ張る立場として。

Cチームは幼稚園児で構成した実態はU6の「若い」チーム。
私は応援できませんでしたがこちらもお兄ちゃん相手に善戦。引分け2つは立派です。
幼稚園児の子達だけで参加したのは恐らく初めてでしょうが、この経験は今後大きいと思い
ますよ。新年度も思い切りサッカーして欲しいです。

ところで、
よくU8の年代ではポジションなど関係ないような見方もされますが、全くそんな事はなくて、
選手の特性を考えつつ、ポジションや起用方法について我々コーチも相当頭を悩ませます。
やっている事は他の年代とほとんど変わりありません。
特に3大日本人大会では、「勝負にこだわる」事を通じてしかできない事を選手にも経験して
欲しいとの思いから、あえてチーム方針として結果を追求する布陣を選択しています。
選手に「勝とうぜ」と言う以上、コーチも勝つことに真剣です。
その中で、チーム事情によって選手の希望とは異なるポジションについてもらう事もあるし、
特に希望者の少ないGKに至っては止む無く普段経験のない子にやってもらう事もある。

ただ当たり前ですが、

・どのポジションもとても大切なこと、
・ポジションを決める際には、「この子ならそこでやってくれる」という期待と信頼を
 全ての選手に込めていること、
・そして与えられたポジションで全力を尽くす事にも大いなる意味のあることを、

いつか将来子供達にも分かってもらえればと、オジさんコーチは思っています。

今すぐにとは言いませんので(笑)。
いつか。


いつかね。


結果はそれぞれありますが、みんなのサッカーはこれからも続きます。
大会も終わり、普段の練習や他の機会では、やりたいポジションや逆にこれまで経験のない
ポジションにもどんどんトライしてもらおうと思います。

・・少し話が反れましたが、
選手のみんな、暑い中お疲れ様でした。
そして毎年ながら大会を運営いただいた東急さん、事務局やボランティアの方々、熱い声援を
送っていただいた父兄の皆様方には頭が下がります。
今年は例年以上に、サッカーと子供達を愛する人々の心で成り立っていることが心に沁みた
大会でした。
子供達に素晴らしい機会を提供してくださって、本当にありがとうございます。

デジタル一眼レフ [その他]

私は特に写真に拘る人ではまったくなかったのですが、
1年半程前、実はヨメさんたっての希望でデジタル一眼レフカメラを購入しました。

最近はキレイな写真が取れるということで女性に一眼レフを持つ方が増えてますよね。
子供の友達のお母さんにもそんな方がおられて、たまに子供達の写真を頂くのですが、
その写真の美しさ、普通のデジカメとの違いに、
「私もほひい!」
となった訳です。

そこで、ヨメさんの誕生祝いに購入したのがこれ。

G1.JPG

某社のLumix「G1」です。
小型で軽く、何よりその頃唯一の鮮やかな赤いボディが売り場で異彩を放ってました。
一眼レフというと何やら難しそうですが、普通のデジカメと同じくフルオートモードがあって、
シャッターを押すだけで誰でもきれいな写真が撮れます。
こういうカメラでファインダーを覗いていると、いかにも凝った写真を撮っていそうで、
「あれ?Yさんって写真好きだったんですね。」
などと言われますが、実はシャッターボタンを押しているだけ。
なーんもやってまへんのよん。

で、しばらくは子供のスポーツイベントや旅行なんかに活躍した訳ですが、
いったん一眼で写真を撮り出すと、やはりというか、普段のシーンでも同じ画質で写真が
撮りたくなってきます。しかしいくら小型と言えどこんな↑カメラを普段持ち歩けません。
それこそ職業カメラマンかと思われます。
小型の「GF1」でも買うかな、、、同じレンズが使えるし。と思っていたところ、更に小さい
一眼レフカメラが出てきました。

NEX-5.JPG

ソニーの「NEX-5」。
さすがはソニー、秀逸なデザイン。メニューなんかもセンスが光ってます。

これなら普段でも持ち歩けるぞ。
と密かに思っていた矢先、折しもヨメさんがこれまで使っていたデジカメを紛失。

「・・・んだよ、しょうがねえなあ。」
とばかりに仕方なく、あくまで仕方なく私が使っていたデジカメを引き渡し、自分用にと
購入したのでした。

これが普段持ち歩いてみると、撮った写真の出来なんぞが気になりだして最近は少し
マニュアル撮影についても勉強し始めた私。
写真なんて興味なかったのに、このまま深みにハマっていくのか?
既に2つも購入している事自体、キケンな状態だと人は言いますが。

「カメラには、"撮る"楽しみと"買う"楽しみがある」

と事もなげにのたまうのは、カメラ好きのKさん。
迷言、いや名言かも。

Valentine's Day [家族]

日曜日の夜、

「明日は早く帰ってきてね」

と、みーすけが言うので、「???」と思いつつ仕事を早めに切り上げて自宅に戻ると、、、、

Valentine.JPG

なんと手作りのガトーショコラ!
そっか、、、今日はバレンタインデー!
日曜日にヨメさんと二人で一生懸命作ってくれてたようです。
メッセージも添えてくれました。

いやあ・・・・嬉(涙)。

これ以上のバレンタインデーはありません。
さっそく頂きましたよ。美味しかったこと!

それにしてもバレンタインデーなんてすっかり忘れてた父。
(海外では女性→男性という習慣は無いし)
それだけにサプライズでした。

みーすけ、ありがとう!

我、弁明しすぎか? [本]

benmeisezu.JPG

もうずいぶんと前になりましたが、まだシンガポールに来て働き始めた頃、ローカル社員達が
連発する「Because...」によく苛立った事を思い出します。

明らかに結果として今、良くない事態が起こってしまっているような状況下で、日本人はどち
らかと言えばすぐにそれを認めて、謝罪するなり、対策に動く事が美徳とされますが、こちら
ではなかなか自らの非を認めず、なぜ自分がそうしたか(だから悪くないのだ)という経緯の
説明が延々と繰り返されます。
日本人からすると、「だって・・・XXXXX」からまず入る弁明になかなか馴染めないのは当然
でしょうね。

赴任前研修で繰り返し聞かされた「謝らない外国人」を身をもって何度も味わった訳ですが、
今にして思えば、自分のした事に対する申し開きをせず、簡単に非を認めてしまう国民性は、
世界の中で日本人の方が特殊と言えるかも知れません。
ハイコンテクスト、ローコンテクストの差はあっても、やはり海外から見る日本人はハイコン
テクスト文化に頼り過ぎで、何に対しても単純に「説明不足」の感が拭えません。
日本人以外の国民から見れば、「なんでもっと説明しないんだ?」と逆に不可解に思われ
がちです。

しかし、ここで

外国人=まず弁明する、謝らない
日本人=まず謝る、弁明しない

としてしまうのはあまりにステレオタイプに過ぎるというもので、もちろん多くを語らない
外国人もいれば、言い訳がましい日本人もおられます。

大事なのは、申し開きのスタイルの問題ではなく、いかにその人が事を起こすにあたって
しっかり物事を考え、道筋や信念にもとづいて決断を行ったか、という事でしょうね。
それさえしっかりしていれば、どちらのスタイルでも最終の結果はそんなに違ってこない
のではないかと思われます。

さて、どちらの文化がどうという話は別にしても、この本は、「弁明せず」信念を貫く事を
選択した、日本人の物語。
明治初期から終戦後の日本で三井財閥を率い、日銀総裁、大蔵兼商工大臣まで勤めた
池田成彬という人の一生が描かれています。

小説の最後には、凄まじい決断を迫られるシーンが出てきます。
事実だったのか疑ってしまうほどの内容ですが、はっきりしているのは、自分には恐らく
同じ決断は下せ(さ)なかったであろうという事。
一読の価値あり、です。

ところで、シンガポール人の「Because...」に苛立っていた私も、最近日本から赴任した
上司からは、
「おまえ、、、今ここでそれを言い訳してどうなるっちゅうねん!」
と窘められるまでに見事な国際化に成功しました。

どうも信念が足りず、弁明のスタイルだけが国際化したことが問題なようで、、、



「我、弁明せず」
江上 剛 著
ISBN978-4-569-67551-0

連弾 [オンガク]

rendan1.JPG

先日、みーすけがお世話になっているピアノの先生の門下生を一同に集めた発表会が、
昨年と同じラッフルズホテルのJubilee Hallで行われました。
今回の演奏曲は、

① 紡ぎ歌 / エルメンライヒ
② 「レ・ミゼラブル」~民衆の歌声が聞こえるか?/ C.M.シェーンベルク

の2曲。

3年目ともなるとさすがに聴く親の方も過度に緊張することなく落ち着いてくるわけですが、
今年はさらに調子に乗って、②でみーすけとの連弾にチャレンジしました(!)。

先生からまずヨメさんに打診があり、ピアノを弾かないヨメさんが断った際に、
「じゃあお父さんと・・・・」(なんで?)
となった流れを、いつものように軽く受けてしまいました。

しかし、いざ自分のパートの練習を始めてみるとこれが結構難しい。
小さい頃にピアノはかじったことはあるものの、黄バイエル(※専門用語)を終えた段階で
脱落した身としては、よくよく考えれば発表会なんかで演奏した事などありません。
でも、みーすけも9歳。今が父のレベルで連弾できる最後のチャンスかも、と思い、父に似て
練習嫌いの娘を励ましつつ特訓を繰り返しました。

当日、いざステージで鍵盤の前に座ってみるとバンドで歌うのとはまあったく異質の緊張感。
一方で練習ではミスが多かった娘は生来の本番強さを発揮してほぼ完璧な演奏。
そして、やはりというか、結構な数の観客を前にビビッてさりげないミスを多発する父。

でも、「せっかくだから楽しもうね」と言い合った通り、緊張も含めてみーすけとの連弾を
エンジョイできましたね。
演奏の質よりも、練習段階からみーすけと一つの事に取り組んだことが大切。

ラッフルズホテルで娘とピアノを弾くなんて、まさか夢にも思ってませんでしたが、、、
やっぱり、何でもチャレンジしてみるもんです。

みーすけ、ありがとう。
父にとって忘れられない思い出になりました。

rendan2.JPG

雪景色 [旅行]

DSC00182.JPG

2011年、明けましておめでとうございます。

前回も書いた通り、今年は5年振りに日本でのお正月を迎えました。
京都の北部は大晦日から元旦に掛けて大雪。
宿泊した旅館からの景色もこんな↑感じで、、、、一面銀世界です。

ちなみに、大晦日の朝はこんな↓感じ。

DSC00155.JPG

レンタカーもすっぽりと雪に埋まってしまいました。
まず雪かきをしないと車が出せない、という状態。
スタッドレスはいておいて良かった~。

今回は12月から入院していた母にゆっくり正月を過ごさせてやるため、
旅館を予約しました。
これまで5年連続、一人ぼっちで年を越してましたからね、、、
せめてもの親孝行、という訳で。

DSC00159.JPG

それでもまだ入院中には変わりなく、今回は外泊扱い。
1月中旬には退院の見込みですがもうすぐ80歳、一人での生活はもう
限界という状況です。

そんな訳で、今年は公私共に大きな転換期を迎える年になりますが、
変化を積極的に受け止め、冷静に、余裕を持って一つ一つ対処して
行きたいと思います。
我々はなんと言っても花のバブル入社組。
烏合の衆などと言われますが、これまでいつも大きな環境変化を乗り
越えて逞しくやってきました。
ちょっとやそっとではへこたれまへんで。

さあ、今年も頑張っていきまっしょい!


前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。